思索ノート
Notes on Beauty and Time
日本人は、なぜこれほどまでに月を愛でてきたのでしょうか。
大倉集古館蔵-1024x493.png)
伝紀貫之筆 古今和歌集仮名序(国宝) 大倉集古館蔵
日本の文学や絵画、そして書の世界には、月が繰り返し現れます。
紀貫之は『古今和歌集仮名序』で、
「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」
と記しています。
和歌とは、あふれる感情を言葉へ託す営みです。
誰の頭上にも等しく光を注ぎながら、決して手の届かない月は、恋しさ、寂しさ、遠い人への思い、そして過ぎ去った時間への郷愁を映し出す、最も豊かな心を映し出す存在となりました。
やがて時代が移ると、月の意味も少しずつ変化していきます。
古今和歌集では、月は人の心を映す存在でした。
しかし、新古今和歌集になると、その月は人の感情だけではなく、美そのものへと読者を導く存在へと深まっていきます。
さらに西行や道元、良寛の作品には、自我を超え、月と自己が静かに一つとなる境地が見られます。松尾芭蕉にとって月は、日常のささやかな営みと無常の静けさを包み込む存在でした。
私は、この長い月の表現の歴史を眺めるたびに、一つのことを考えます。
私が描きたいのは、月そのものではありません。
月を感じる、人の心です。
その静けさを、一本の線と余白に宿すこと。
私が書に惹かれ続ける理由も、そこにあります。